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12/07のツイートまとめ

yamamoto7hei

⑤これでは、日本も、満州同様、帝国陸軍の占領地域内の一国だということになってしまう。事実、満州占領は、当時の一部の軍人には、内地占領のための軍事基地の設定であった。
12-07 00:08

⑥従って帝国陸軍とは、一般国民から見れば何を考えているかわからない、まことに無気味な「一国」、自分の手でどうにもできぬ横暴な他国に見えた。そしてその国に強制移住させられれば、今までの常識も倫理も生活感も全く通用せず、何をされるかわからないという不安を…持たぬ者はいなかった。
12-07 00:38

⑦そしてその不安は、戦後、収容所で、米軍に収容されるとき不安を感じたか感じなかったか、という話になったとき、ある人が、「不安を感じたなあ、だけど入営の前夜ほどではなかったな」と言ったとき、思わず皆がうなずくほどであった。
12-07 01:08

⑧軍の方も軍隊以外を「地方」(陸軍)又は「娑婆」(海軍)と呼び、それは軍の為に活用すべき従属者以外の何物でもなかった。従って帝国陸軍の作戦には国民軍として住民保護が至上の義務という見地は皆無、また戦闘員・非戦闘員の区別と非戦闘員の権利を自国民に対してさえ実質的には認めなかった。
12-07 01:38

⑨沖縄の人々の消しがたい不信の背後には「軍が住民を使い棄てにした」と受けとられるような、以上の考え方に基づく諸事実がある。だが、本土決戦が行われれば事情は全く同じであったろう。この実情は前述の参謀の言葉につくされている。
12-07 02:08

⑩昭和22年に内地へ帰って、人々から米軍の印象を聞かされたときの感じをそのままのべれば「旧占領軍の天皇の軍隊が去って、新占領軍のマッカーサーの軍隊が来たが、この方が天皇の軍隊より話がわかる」といった感じであった。
12-07 02:38

⑪”史上まれにみる占領政策の成功”といわれるものの背後には、天皇の軍隊による長い長い”被占領期間”があり、国民が、被占領状態になれていたという事実があったであろう。~後略
12-07 03:08

①【不思議な殉教】日本人がいかに理解しにくい民族であるか。理解したと思い込んだとき、実はそれが誤解にすぎない場合でも、それを誤解だと証明することすら不可能に近い、という事実をまず指摘したいと思います。<『日本教について―あるユダヤ人への手紙―』
12-07 03:38

②三島由紀夫氏の切腹の後、世界中の新聞雑誌に多くの解説が掲載されました。私もまた二、三の新聞から意見を求められましたが、答えませんでした。理由は、このとき私は、ある古い日本の物語を思い起したからです。
12-07 04:08

③そしてこの古い物語と三島氏の切腹を考え合わせてみますと、事件後に出たあらゆる解説が(日本のものをも含めて)、実は、誤りではないかと、私には思われたのです。どの点に誤りがあるのか、それを申し上げる前に、その古い物語を話しましょう。
12-07 04:38

④今から三百数十年ほど前、東京と京都のほぼ中間の太平洋岸に、徳川家康という領主がおりました。当時の日本はいわば空位時代で、大諸侯は互いに争っており、その様相はまるでルネッサンス期のイタリアのようでした。
12-07 05:08

⑤この家康は後に全日本を統一し、今の東京に中央政府を樹立し、三百年の平和、いわば「Pax Tokugawae」の基礎をおいた人で、日本の政治家の一典型と言うべき人物です。彼がまだ前記の小領主に過ぎなかった頃、領内で反乱が起りました。これは一向宗という仏教の一派の反乱です。
12-07 05:38

⑥〔話は横道にそれますが、この一向宗は、後にも日本の多くの諸侯によって、キリスト教と同じように禁止されています。日本におけるキリスト教の禁止は、このような、キリスト教以外の、仏教のある宗派への禁止とともに考えるべき問題で、(続
12-07 06:08

⑦続>キリスト教のみに焦点を向け、これを初代キリスト教徒への迫害やキリスト教国における宗教的争いと同一視すべきではありません〕全ての宗教的反乱と同じように、この時の反乱も…鎮圧が困難でしたが、実はその大きな理由の一つが…彼の部下の指揮官が熱心な一向宗の信徒だったからです。
12-07 06:38

⑧この指揮官は、家康が督戦に来ると戦い、家康が去ると戦いをやめてしまいました。こういうことが明らかになると、三百年前の世界では、いずれの国であれ死刑です。そしておそらく現代でも、ある国々では死刑でしょう。家康は激怒して彼のところへ来ました。
12-07 07:08

⑨しかし彼は、自分の部下を処刑する事は好みませんでしたので、最後のチャンスを与えようと思い、次のように言いました。「処刑か改宗か、どちらかを選べ」部下は平然として答えました。「改宗はしません。処刑して下さい」そして彼は土の上に坐し、首を差し出しました。
12-07 07:38

⑩家康は刀を抜いて振り上げましたが、何を思ったか急に刀を下ろして鞘に収めると「こんな頑固者は、処刑してもしようがない」といいました。その瞬間、この部下は、不意に彼の方をふりむくと、全く突然に、「唯今、改宗いたしました」といいました。
12-07 08:08

⑪家康は驚き、「お前は何というひねくれ者だ。処刑するといえば改宗しないといい、処刑をやめれば改宗するという、一体、どういうわけだ」とききました。
12-07 08:38

⑫部下は答えていいました。「命が惜しくて改宗したといわれることはサムライの意地が許さない。だがこれで私は、たとえ改宗しても、命おしさに改宗したのでないことが明らかになりましたから改宗します」と。
12-07 09:08

⑬これは非常に面白い物語です。もし仮に彼が処刑されたとすれば、彼は一向宗の殉教者です。改宗を拒否して処刑されたのですから、これを否定する事はできません。だが事実は彼はサムライの意地に殉教したのであっても、一向宗に殉教したのではない訳です。だがこれを証明する法はありません。
12-07 09:39

⑭私が「理解したと思い込んだ時も、実はそれが誤解にすぎないのに、それを誤解だと証明する事すら不可能に近い」と申し上げたのは、この事です。私が「日本教」と呼ぶのは、この意地を支えている教義の基礎となっている一つの宗教――その為に日本人が殉教も辞さない一つの宗教を指します。
12-07 10:09

⑮従って私は、日本人が「私は自由主義者だ」「私はマルクス主義者だ」「私はクリスチャンだ」と自称しても、それらはすべて、いわばこの場合の「一向宗」であって、日本教を表現するための方法にすぎないと考えております。
12-07 10:38

⑯すなわち、それぞれの言葉を借りて日本教を表現しているのであって、たとえその人びとが殉教しても、それは前記の物語と同様に日本教への殉教であり、またたとえ転向しても、それはこの部下と同じように、日本教の強固な信徒であることの証明だと思います。
12-07 11:08

⑰従って家康の部下の態度は本質的には「変節」ではありません。…これと極めてよく似た事件は日本では常に起ります。従って日本が…無条件降伏した時、昨日までの超国家主義者が今日はアメリカ型民主主義者となり、昨日までの特攻隊員が今日は赤旗を振ったところで少しも不思議ではありません。
12-07 11:38

⑱また戦争中の日本人がナチズムの言葉で日本教を語ったからといって彼らをナチスと考えることが誤りであると同様に、戦後の日本人がアメリカ型民主主義の言葉で日本教を語っているからといって、彼らを民主主義者と考えることは誤りです。それらはすべて「一向宗」です。
12-07 12:08

⑲従って将来(おそらくは近い将来)、同じようなことが起っても、驚いてはいけません。まず「日本教」を理解すること、それはわれわれのみならず、世界にとっても必要なことでしょう。
12-07 12:38

①【踏絵と焚香】「踏絵」というものを御存知ですか。これは三百年ほど前、時の政府がキリスト教を禁止した時、ある者が、キリスト教徒であるか否かを弁別する為に用いた方法です。すなわち聖母子像…を土の上に置き、容疑者に踏ませるのです。<『日本教について―あるユダヤ人への手紙―』
12-07 13:08

②踏めばその者はキリスト教徒でないと見なされて赦され、踏むことを拒否すれば、その人はキリスト教徒と見なされて拷間され、処刑されました。ところで、もし仮に、私かあなたのようなユダヤ教徒がその場に居合わせたら、どういうことになったでしょう。御想像ください。
12-07 13:39

③容貌からいっても、服装からいっても、言葉・態度・物腰からいっても、私達は当然、容疑者です。勿論私達は懸命にキリスト教徒でない事を証言するでしょうが、恐らく誰もそれを信用してはくれず、踏絵を踏めと命じられるでしょう。どうします?言うまでもありません。我々は踏みます。
12-07 14:08

「山本七平botまとめ/【世論と常識】世論と常識人の考え方との恐るべきギャップを示した稀有の書「虜人日記」」をトゥギャりました。 http://t.co/kO1oDEuYKf
12-07 14:14

「山本七平botまとめ/【世界最古の社会保障法】~社会的”施与”でも”恩恵”でもなかった社会保障の考え方とは~」をトゥギャりました。 http://t.co/DoszDonOIG
12-07 14:23

「山本七平botまとめ/【言葉と映像】~言葉に習熟する前に映像文化に接することの影響とは~」をトゥギャりました。 http://t.co/AQlf033Onj
12-07 14:32

④我々ユダヤ教徒が、偶像礼拝を拒否して殺されるならともかく、偶像を土足にかけることを拒否して殺されたなら、世にこれほど無意味なことはありますまい。これは我々にとって、議論の余地のないことです。だが次の瞬間、一体、どういうことが起るか、おわかりですか?
12-07 14:38

⑤日本人はこういう場合、一方的に我々を日本教徒の中に組み入れてしまうのです…奉行からは…金一封と賞状が下されるかもしれません。同時に、もしそこに踏絵を踏む事を拒否して処刑を待っている日本人キリスト教徒がいたら、その人々は私達を裏切者か背教者を見るような蔑みの目で眺めるでしょう。
12-07 15:08

⑥その際、私たちが踏絵を踏んだのは、日本人が踏絵を踏んだのとは全くちがうことなのだ、といくら抗弁しても、だれも耳を傾けてくれないでしょう。『日本人とユダヤ人』を出版した後、私は、踏絵を踏んで御奉行にほめられたような、妙な気を再三味わいました。
12-07 15:39

⑦「踏絵」と口をきく事はできません。踏絵を差し出すという行為には言葉が入る余地がありません。理由は一切問われませんし、釈明は全く許されません。
12-07 16:09

⑧踏んだか、踏まなかったか、だけです。そしてそれが時には褒賞となり、時には処罰となります。そして理由は一切問われませんし、釈明は全く許されません。
12-07 16:39

⑨以上のように申しますと、日本人も質問するではないか、釈明もするではないか、と反論されるかも知れませんが、日本人の質問とは、自分にわからないことを、相手にきいているのではないのです。「言葉の踏絵」を差し出しているのです。
12-07 17:10

⑩これは国会の討論であれ、新聞記者のインタビューであれ同じであって、質問者は、さまざまの「言葉の踏絵」を次から次へと差し出して、相手が踏むか踏まないかをテストしているのです。そして踏めば、なぜ踏んだかを問うことなく、相手を規定してしまいます。
12-07 17:41

⑪従って日本人と会見するときは、はっきりこのことを覚悟しなければいけません。ではここで、日本人がなぜそうなるかを検討してみたいと思います。ローマ政府がキリスト教徒迫害のとき用いた方法は焚香(たきこう)でした。これは、踏絵とは正反対の発想です。
12-07 18:09

⑫即ちその人がどんな宗教を信じているかは問わない、ただ皇帝の像の前で香を焚けば良いわけです。…ローマは「所かわれば品かわる」を「所かわれば宗教かわる」と言った国です。でまたそれを当然としていましたから踏絵は不可能です。これは、ある点では現在のアメリカに似ております。
12-07 18:38

⑬すなわち、キリスト教徒であれ、ユダヤ教徒であれ、仏教徒であれ、星条旗への忠誠を宣誓すればよいのであって、それをすれば、その人が何教徒であろうと問いません。これは一種の「言葉の焚香」と解することができます。
12-07 19:08

⑭こうみて来ますと、「言葉の踏絵」が「言葉の焚香」とどのように違うかが、もう、おわかりかと思います。この踏絵という方式は、一宗教団体が異端者を排除するために用いる方法であって、そこには、正統と異端しかいないということが前提です。
12-07 19:39

⑮従ってこの前提にあてはまらないものが現われた場合(前記のようにユダヤ教徒に踏絵を差し出した場合)日本人は、前提にあてはまらぬ者が現われたとは考えないで、その者を、どちらかに類別せざるをえなくなってしまうのです。
12-07 20:08

⑯日本人は日本教徒ですから、日本教徒としての前提でことを判断するわけですが、日本人は、この前提を意識しておりません。「無前提の前提」とか「あらゆる前提を排して虚心対象に向う」とか言うことを、日本人はよく口にします。…一応これを「無意識の前提」としておきます。
12-07 20:39

⑰笠信太郎という人が日本人を「やってしまってから考える」民族だと規定しております。彼も典型的な日本人ですから、なぜそうなるかを考えずに、おそらく「書いてしまってから考えた」のだと思いますが、私はこれを、前提を意識しないからだと考えています。
12-07 21:08

⑱従って、やってしまって、その結果を見てはじめて、自分の前提の当否が検討できるわけです。そこで、この踏絵という問題がさらに複雑になります。すなわち何を前提として踏絵を差し出しているのか、三百年前の日本人も、現代の日本人も、全く意識していないのです。
12-07 21:38

⑲しかし日本人が意識しようとしまいと、踏絵を差し出すからには、差し出す基礎となる教義があるはずです。私が日本教と呼ぶのは、この教義を支えている宗教です。
12-07 22:08

①【論理と条理】さてこの「条理」という日本語ですが、一応これをLogical sequenceとお考えください。このsequenceを宗教的意味にとって「続唱」とお考えいただいてもよいし、「論理的な順序」とお考えいただいてもよいと思います。<『日本教について』
12-07 22:38

②もっともいずれも「条理」という言葉を正しく表わしてはおりませんが、この二つの意味から、「論理ではないが、何かそれに似た順序で、結論を追って行く方法」という意味であることは理解していただけると思います。
12-07 23:09

③さて、日本語には論理はありません。日本人は論理学なるものを全く知りませんでした。日本語とは「ロゴス(論理)なきロゴス(言葉)」です。従って日本語には、西欧で意味するような文法もありません。論理がありませんから、厳密な意味の叙述はありません。
12-07 23:39

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