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09/07のツイートまとめ

yamamoto7hei

⑥真言も天台もしだいに密教の比重が高まり、互いによりすぐれた呪術性を強調して競いあった。そしてその結果生じたのが、国家仏教から貴族仏教・閥族仏教への移行である。まず天皇家、ついで藤原氏一門が盛んに寺を建て、他の貴族もこれにならった。氏寺の出現である。
09-07 08:12

⑦そして政権の座からしめ出された貴族は、栄達の道を仏教界に求めた。有名な氏寺には、藤原伊勢人の鞍馬寺、藤原忠平の法性寺(ほうしょうじ)、有名な道長の法成寺(ほうじょうじ)や頼通(よりみち)の平等院などがあり、そこの僧たちは準貴族化して俗人と変わらなくなった。
09-07 08:42

⑧そして貴族の求めに応じて法会(ほうえ)や加持祈禱を行なって土地の寄進を受け、しだいに富裕な土地所有者となり、武力さえも持つようになった。もう一つ見逃せないのは末法思想である。キリスト教にも「紀元1000年終末思想」があったが、日本の場合は永承七年(1052年)である。
09-07 09:12

⑨なぜこのような信仰が生じたのか。教理的にはシャカの入滅後千年が正法〔しょうぼう〕、次の千年が像法〔ぞうぼう〕(この計算の仕方はさまざまだが)で、それが終わると世は「闘諍」の時代となり、仏教の教えは現世では全く行われなくなるという思想である。
09-07 09:42

⑩そして奇妙なことにこの年に香椎宮が焼失、翌年には伊勢大宮司の邸宅が、さらに翌年には高楊院内裏つづいて京極院内裏が焼失する。翌々年には安倍頼時(あべのよりとき)の乱で追討の宣旨が下され、前九年の役がはじまる。
09-07 10:12

⑪そして康平元年(1058年)に新築の内裏がまた焼失し、法成寺も焼失し、翌年には一条院内裏が焼失し、その翌年には興福寺が焼失する。それは「平安時代」がいよいよ終わり、「闘諍時代」の来る不吉な予兆と人々には思えた。事実、闘諍を恐れない武家の登場する時代は近づきつつあった。
09-07 10:42

⑫一方、これとともに浄土教信仰が力を得てきた。これは奈良時代にすでに中国から渡来していたが、空也や源信によって、あるいに踊念仏(おどりねんぶつ)という形で、あるいは「厭離穢土〔おんりえど〕、欣求浄土〔ごんぐじょうど〕」という単純化した形で民衆の中にしだいに浸透していった。
09-07 11:12

⑬この時代は、貴族にとっては確かに「平安時代」であり、権威を誇る彼らにとってこの世は決して「厭離」すべき「穢土」でなく、浄土の荘厳さを生きている現実生活の中に見ようと願わせるような世界であった。だが平安時代は裏から見れば群盗と流亡の民を生んだ暗黒の時代である。
09-07 11:42

⑭彼らがこの「穢土」を「厭離」して「浄土」を「欣求」しても不思議ではない。やがて武士が登場し、文字通りの「闘諍」の時代が来る。そうなると今度は、衰亡して行く藤原氏一門にとって、この世は、そこから逃避したい「穢土」になっていく。
09-07 12:12

①【念仏のみ選択した法然】この源平の争乱期に最も大きな影響を与えたのは法然〔ほうねん〕の浄土宗であろう。前に法然の事をプロテスタントの宣教師に話したところ、「それではキリスト教ではないか」とか「まるでマルティン・ルターのようだ」とかいう反応が返ってきた。<『日本人とは何か(上)』
09-07 12:42

②司馬遼太郎氏も同趣旨のことを記されているが、プロテスタンティズムとの類似性を最初に記したのはキリシタン宣教師ヴァリニャーノやカブラルであろう。そういう見方が出て不思議でない面がある。
09-07 13:12

③ただ現代の欧米人とはまことに困った点があり、こういうときには必ず「どこかからキリスト教思想が日本に入ったのではないか」と考える。そういった質問を受けたので、ルターの宗教改革ははるか後代の1517年、北条早雲が三浦義同父子を攻め滅ぼした翌年で、日本はすでに戦国時代。
09-07 13:42

④冗談に「ルターが法然の影響を受けたことはあり得ても、その逆はあり得ない」と答えた。僧俗に関係なく、身分・職業に関係なく、行為さえ関係なく、「ただ個人の信仰のみによって」人間は救済されるという個人主義的な宗教思想の発生は、西欧より日本の方がはるかに早い。
09-07 14:12

⑤法然の思想は『選択〔せんじゃく〕集』に記されており、要約すればいかなる愚痴無智・罪悪深重な者でも、阿弥陀仏の名をとなえるだけで、極楽浄土に救済される身になるという。善根功徳を積む必要はないし、戒律を守り身を清浄に保つこともいらない。
09-07 14:42

⑥極言すれば、阿弥陀仏を礼拝することも、心に描くことも、浄土の「三部経」を読誦することもいらない。ただ称名〔しょうみょう〕念仏だけが「正定業〔しょうじょうぎょう〕」で、さまざまな宗教的修行は「捨閉閣抛〔しゃへいかくほう〕」され、念仏だけが「選択〔せんじゃく〕」される。
09-07 15:12

⑦人は現実から逃避せず、与えられた身のまま、武士は武士、農民は農民、そのままで念仏をとなえればよい。そのため特別な行儀はなく、行住坐臥〔ぎょうじゅうざが〕の間に行い、時間の長短や回数の多少も関係ない。思うときに思うようにとなえて、それだけで十分とした。
09-07 15:42

⑧ただ彼は、ちょうどルターがカトリックの七つの秘蹟〔サクラメント〕のうち二つを捨てかねたように、臨終の行は棄てかねた。
09-07 16:12

①【戒律死守した唯一の僧。明恵】彼のような思想に対して当然に対抗宗教改革〔カウンター・リフォメーション〕が起こった。その代表が華厳宗の栂尾〔とがのお〕高山寺の明恵〔みょうえ〕であり『摧邪輪』を記し、仏典のどこを探しても法然の主張するようなことは記されていないと批判した。
09-07 16:42

②明恵は典型的な高僧というタイプの人で、民衆を直接に教化するより瞑想と隠遁を愛したが、彼を慕う人は多かった。執権の北条泰時は彼から強い感化を受け、それが「貞永式目」の法哲学の基本になっていると思われる。
09-07 17:12

③また弟子の義林房喜海は生涯彼とともにあって、『明恵上人行状』を記し、これとその他の資料を基にして記された『明恵上人伝記』は徳川時代まで広く読まれた。
09-07 17:42

④その中の「あるべきようは」の七字を重んずること、いわばすべての人がその社会的位置で「あるべきようにあれ」という教えもまた、間接的だが強い教化力をもっていたと思われる。
09-07 18:12

⑤また彼が自らの「夢」を記しつづけた『夢記〔ゆめのき〕』は、心理学的に、また精神分析的に貴重な資料で、現代でも多くの人に研究されている。だが明恵自身の生涯の夢は、インドに行き、仏跡を歩きつつ、ありし日のブッダを慕いしのぶことであった。
09-07 18:42

⑥彼はこの夢を果たせなかったが、たとえ末世・末法の世であっても、あくまでブッダを慕い、彼が示した戒律通りに生きる事が彼の生き方であった。生涯、戒律を一点一画も破らなかった僧が日本にいたか、と問われれば「明恵がいた」といえる。それは法然とは対極の存在であったといってよい。
09-07 19:12

⑦同じころ、栄西と道元によって中国から禅宗がもたらされた。これが広く普及したのは鎌倉時代であり、「只管打坐〔しかんたざ〕」の厳しい修行と厳格な戒律は、武士の生活規範とよく合致したものと思われる。
09-07 19:42

⑧禅は鈴木大拙により欧米に紹介され、日本の仏教といえば「ZEN」と思っている人も少なくないが、決してそうではない。ただ禅についてはすでに多くのことが紹介されているので、本書ではこれにとどめ、民衆的新宗教へと進もう。
09-07 20:12

①【日本仏教の独自性】足利時代になると、武士は禅宗、農民は真宗、商人は日蓮宗のような形になる。そして最も数の多い農民の宗教、すなわち真宗は、法然の弟子の親鸞〔しんらん〕が、師の教えをさらに徹底したものと言ってよいであろう。<『日本人とは何か(上)』
09-07 20:42

②法然のもとに多くの人が教えを求めて集まったとはいえ、彼は生涯を殆ど京都で送ったので、その範囲は限定されていると同時に、都会的であった。法然も親鸞も旧仏教勢力によって流罪にされたが、このとき親鸞は越後で妻帯して関東に赴いた。
09-07 21:12

③彼は堂々と妻帯した仏教史上最初の僧かも知れず、この点では彼の方がルター的かも知れない。だがオウガスチノ修道会の司祭であるルターが結婚したのは1500年で、これまたはるかに後年である。そして親鸞は関東の辺地で、農民や下級武士に自らの教えを説いた。
09-07 21:42

④親鸞はあらゆる意味でルター以上であろう。彼はこの世を穢土とは考えず、「現実」こそ「救済」の場であり、その場に生きることを念仏の目的とした。
09-07 22:12

⑤そして阿弥陀仏に救われるという「信」のみが救済を決定するのであり、念仏とは救済を求めて称〔とな〕えるものでなく、信じ得た喜びの感謝の声だとした。ひろ・さちや氏は真宗の念仏は、救済されたことへの「サンキュー・サンキューだ」といわれたが、適切な解説であろう。
09-07 22:42

⑥まさに人が救われるのは「信仰のみ」によるのであり、その前では老若男女貴賤、一切差はないと説いた。だが、彼の教えがすぐ広まったわけではない。それが農民の宗教となり一大勢力となるのは天才的伝道師蓮如が出てからである。
09-07 23:12

⑦この浄土教的な徹底した教えに強く反対し、法華経を絶対としたのが日蓮である。従って彼にとって天台以外の宗派はすべて否定さるべきもので「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」がスローガンであった。ただその彼もブッダを信じ「南無妙法蓮華経」の七字を称えるだけでよいとした。
09-07 23:42

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