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09/06のツイートまとめ

yamamoto7hei

⑫後者ならもちろん神道とは別の一宗教と言えるが、前者だとその関係は相当にむずかしい問題を含んでいよう。
09-06 08:12

①【天人と仙人は道教の言葉】中村元博士から「ユーラシア大陸的宗教」という興味深い仮説をうかがったことがある。仏教は東進しただけでなく西進もしており、さまざまな形でヨーロッパに入っていることは、多くの宗教学者が指摘している。<『日本人とは何か(上)』
09-06 08:42

②いわばユーラシアの東端の日本から西端のヨーロッパまで何らかの形で広がり得たのは、それを受け入れる宗教的素地があったからではないかという仮説である。この世界的な仏教学者の仮説を論評する能力は私にはないが、日本の宗教史を見ると、少々不思議だなと思う点がある。
09-06 09:12

③というのは仏教が来て約千年たってキリスト教が来た、そして死後の霊魂の存在と、天国・地獄について説いた。民衆は別に不思議そうな顔もしなかった。という事は「天・人・アシュラ・餓鬼・畜生・地獄」という六界を輪廻転生するという事を民衆は信じていなかったらしいということである。
09-06 09:42

④転生すれば「霊魂だけの存在」はあり得ないはずだが、民衆は「ある」と頑強に信じつづけていた。それを示す民話もまた決して少なくないし、幽霊は日本では常に活動しつづけ、現在でさえ活動している。死後に人が何かに転生してしまっては『四谷怪談』は生まれない。
09-06 10:12

⑤そして日本人は、天には美しい天人が住み、天女は羽衣をまとって空を舞うと思っていた。こういった「羽衣」伝説もまた少なくないし、「仙人」という、不思議な術で水久に死なない人もいるらしかった。一体こういう民話や伝説や物語はどこから出ているのであろうか。
09-06 10:42

⑥「天人」とか「仙人」とかいうのは、実は道教の言葉である。道教では宇宙の最高神は天皇=天皇大帝で、天上の神仙世界にある紫宮(紫微宮=紫宸殿)に住み、地上の皇帝と同じように官僚がいてその中の高級官僚が「真人」、下級官僚が「仙人」なのである。
09-06 11:12

⑦そしてこの天上の天皇大帝は、官僚たちに命じて常に地上を監視させ、その人の善を賞し、悪を罰している。日本では、この天上の政府を地上に反映させた形で諡(おくりな)に天皇の称号をもつ支配者がおり、紫宸殿があるという形になっている。
09-06 11:42

⑧「神の支配の形態を地上に反映させたのが地上の政府」という考え方はヨーロッパにもあり、エウセビオスは、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の政府を、天上の秩序の反映としている。これと似た考え方かもしれない。
09-06 12:12

①【統治神学としての神儒仏合一論】唐の王朝が李姓であったので同姓の老子を尊崇し、科挙の試験に道教の問題も出るほどであった。日本はその影響を強く受けたので、宮廷関係に道教的用語があるのは不思議でない。<『日本人とは何か(上)』
09-06 12:42

②では律令の導入と同時に、天上にも天皇・真人・仙人による同じような形の政府があり、それが自分たちを監督していると考えたのであろうか。その点は明確にはわからない。
09-06 13:12

③というのは以上の道教の考え方は、儒教の天命思想に一脈相通ずる点はあるが、日本の天皇は、天地創造とともに発生した神々の直系の子孫として正統性を主張しているのだから、同じ考え方ではあるまい。
09-06 13:42

④ただ、『日本書紀』の冒頭を道教の天地創造ではじめたこと、そして律令体制が完成して間もなくこれが編纂されたことは、唐の王朝の宗教である道教の、前記の世界観が念頭にあったと見てよいであろう。そうなると天上にいる天皇大帝は、天照大神以降の天皇の諸霊ということになる。
09-06 14:12

⑤天皇が生前にも「天皇」と呼ばれるのは近世のことで、それ以前はすべて「院」と呼ばれ、死後に諡(おくりな)に天皇を付すのが普通で、例外は後醍醐天皇だけである。
09-06 14:42

⑥このことは「天皇」とは死後の天上での称号であることを示し、死んだ後は天から「天皇大帝」として子孫の統治を見守るという考え方があったのであろう。
09-06 15:12

⑦こう見ていくと、前述の昭和十二年の文部省通達の「…皇祖皇宗がその神裔(しんえい)にあらせられる天皇に現われまし、天皇と皇祖皇宗とは御一体にあらせられ…」は、道教的と言ってよいかもしれない。
09-06 15:42

⑧そうなると、その究極にいるのは天照大神ということになるが、同時に鎮護国家の祈願の対象は仏である。ここで統治神学として、儒釈道合一論が神儒仏合一論となり、神社と寺院が一体化し、それを合理的に把握するのに本地垂迹(ほんじすいじゃく)説が援用されても不思議ではない。
09-06 16:12

⑨いわば道教的発想はこのような形で神道と習合したと考えれば、当然の帰結だということになろう。そして広い意味の道教は、中村元教授のいわれるユーラシア大陸的な宗教的要素をもっていたから、神道との習合はごく自然な形で行われたであろう。
09-06 16:42

⑩人間のみならず、あらゆる動物は死ぬと霊が天に帰る、という考え方がアイヌの宗教にあることは多くの学者が指摘しており、これは、中国の思想が日本に来るはるかに以前、いわば縄文時代からあったと思われる。
09-06 17:12

⑪この信仰と道教とはきわめて習合しやすいから、日本の原始的信仰がそのような形で神道となったという見方もできる。いずれにせよこの土俗的信仰は実に根づよく残り、キリシタンが来たとき、それを確認する宗教が来たかのように日本人が受け取って歓迎した。これも不思議ではない。
09-06 17:42

①【仏教国家創建の功罪】仏教の受容とは、実は中国の宗教文化の全ての導入であった。ただ唐の時代は中国仏教の最盛期であったから、それは仏教中心の宗教文化の輸入であったと言ってよい。従って、仏教の僧侶が儒教の講義をしても人は少しも不思議に思わなかった。<『日本人とは何か(上)』
09-06 18:12

②そして仏教を、氏族間の私的信仰から国家的な統一の共有しうる宗教へと変えたのが聖徳太子であろう。太子は自ら法華経・勝鬘経(しょうまんぎょう)・維摩経(ゆいまきょう)の注釈書、即ち『三経義疏(ぎしょ)』を記し、一切を包容融合する統一的な原理として「一大乗」の思想を鼓吹した。
09-06 18:42

③そして大化改新を経て大宝律令ができると、仏教は「僧尼令」によって国家の保護を受けると同時にその統制を受けるようになった。いわば僧尼は、鎮護国家を祈念する公務員になったわけである。現代でも国教のある国の多くでは聖職者は国家公務員であり、それから見れば仏教の国教化といえるであろう。
09-06 19:12

④以上のような行き方を推し進め、仏教国家の創建へと目指したのが聖武天皇であろう。天平十三年(741年)の国分寺創建の詔(みことのり)、さらに天平十五年(743年)の東大寺大仏建立の詔はこの点で注目に値する。
09-06 19:42

⑤いわば諸国に国分寺と国分尼寺を建立して、「金光明経」を講宣読誦(どくじゅ)させることによって国家にふりかかる労障を消除し、大仏によって国家万民の上に利益を与えようという一大計画である。こういった国家的計画とその実施は、日本史上、これが最初で最後であろう。
09-06 20:12

⑥だがこのような大事業の結果招来されたものは、国民の疲弊、国家財政の破綻、寺領の増大、僧侶の政治介入と堕落であった。天平宝字八年(764年)恵美押勝(えみのおしかつ)の叛乱が起こり、これは鎮圧されたが、(続
09-06 20:42

⑦続>次に僧道鏡が大臣禅師となって勢力を振るい、天平神護二年(766年)法王となって帝位をうかがうが、やがて失脚する。南都六宗といわれる首都奈良の仏教界は、さまざまな面で、どうにもならない状態になっていた。
09-06 21:12

①【呪術性と末法思想で仏教変質】延暦十三年(794年)桓武天皇は都を京都に移した。いわば奈良とその地の諸大寺は放棄され、同時にその統制、取締りは強化された。一方新しい首都の京都では、天台宗の最澄と真言宗の空海による、新しいタイプの仏教、山岳仏教が出現した。
09-06 21:42

②奈良の仏教は都市仏教だが、天台宗は比叡山に、真言宗は高野山にこもり、南都六宗とは違った新しい信仰の糧を供給した。といっても「鎮護国家」には変わりはなく、むしろそれはさらに強調されたといってよい。
09-06 22:12

③南都の六宗でも天台・真言でも、仏教の教学に対する専門的な研究は勿論行われており、その水準は極めて高かったといわれる。だが一般の貴族…が仏教に求めた事は深遠な宗教的真理ではなく「鎮護国家」を一族に更に個人の水準にまで下ろし、自分や自分の一族の繁栄や安全を祈念して貰う事であった。
09-06 22:42

④彼らが最も恐れたのは、病気や災難であり、それらから自分を守ってくれる呪術を仏教に求めたわけである。ここに呪術仏教が要請され、それに対応したのが密教で、その神秘性や不可解さ、それを裏づけるような深遠な哲理は強く人びとをひきつけた。
09-06 23:12

⑤当時の人びとは、理解しがたい病気や災難を「物の怪(け)」にとりつかれると考え、一種の強い怪異感で受けとめていた。そこでこの怪異感からの解放を加持祈禱に求めたわけである。その要請に応じたのが密教である。
09-06 23:42

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