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12/20のツイートまとめ

yamamoto7hei

■山本七平botまとめ/【言葉を重んじるセム族の伝統①】すべてを言葉にしなければ無効/字引きも作らずに親アラブとは……https://t.co/gh0ToWEv4l
12-20 00:00

■山本七平botまとめ/【言葉を重んじるセム族の伝統②】/「初めに言葉あり」の真意/「いわく言い難い」ものはないhttps://t.co/CVrgzB9ECD
12-20 00:10

■山本七平botまとめ/【正統と異端・護教論とその裁定①】仏教と十字架のキリスト/新約編集史=西洋の精神形成史/日本には生じなかった護教(弁護)論https://t.co/Ih1P39kryL
12-20 00:20

■山本七平botまとめ/【正統と異端・護教論とその裁定②】古い護教論の一例/アピオンの批判とヨセフスの反論https://t.co/SlZdQ6pXzi
12-20 00:30

■山本七平botまとめ/【正統と異端・護教論とその裁定③】裁定者ローマ皇帝の前での討論/ローマ皇帝の裁定/日本に予想される困難https://t.co/8Sw5jToxXl
12-20 00:40

■山本七平botまとめ/【言葉の差――神概念の相違】神・エロヒム・テオス/「私はBeingである」とは/この基本的相違をどうするかhttps://t.co/aEwOPwlS5n
12-20 00:50

■山本七平botまとめ/【ものの見方の差】日本にない対立概念/日本のばあいは二元論/すべてに誤る善玉悪玉観/ローマ法の世界と自然法の世界https://t.co/eGsR6YlB4M
12-20 01:00

■山本七平botまとめ/【偉大なるリアリスト・孔子の素顔/乱世にひたすら秩序を求め続けた「偉人」の生涯①】シャカやキリストのような”生誕伝説”のない孔子/「十有五にして学を志す」――晩学・独学による出発https://t.co/aoMDhCf5FB
12-20 01:10

■山本七平botまとめ/【偉大なるリアリスト・孔子の素顔/乱世にひたすら秩序を求め続けた「偉人」の生涯②】「冨」は否定せず、それを得る自らの規範こそが問題/教育は「時に興り、礼に立ち、楽に成る」/「三十にして立つ」古典の学習は終了https://t.co/aQG3oQ3B3O
12-20 01:20

■山本七平botまとめ/【偉大なるリアリスト・孔子の素顔/乱世にひたすら秩序を求め続けた「偉人」の生涯③】周王朝の伝統「礼」に新しい秩序の理念を発見/いかなる体制であれ、秩序は常に「形」を伴うhttps://t.co/UxRjY8quVD
12-20 01:30

■山本七平botまとめ/【偉大なるリアリスト・孔子の素顔/乱世にひたすら秩序を求め続けた「偉人」の生涯④】「四十にして惑わず」政略家・孔子の誕生/「天命を知る」模範国家の実現に腐心する政治家・孔子https://t.co/duX7TH3O3J
12-20 01:40

■山本七平botまとめ/【偉大なるリアリスト・孔子の素顔/乱世にひたすら秩序を求め続けた「偉人」の生涯⑤】何度も起こった孔子暗殺未遂事件/高弟顔淵の死、最愛の弟子子路の死/「古典」とは、常に人の発想を新たにするものhttps://t.co/Oc4TbUYs0w
12-20 01:50

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/ベンチャーの精神①】明治における企業はすべてベンチャービジネスであったhttps://t.co/2AoPvf6IEo
12-20 02:00

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/ベンチャーの精神②】「これより先に行くな(non plus ultra)」というタブーを破った元祖ベンチャービジネスマン、コロンブスhttps://t.co/KgSzuOrWyR
12-20 02:10

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/ベンチャーの精神③】創業者が備えている三つの才能、シーアー(予言者)、アジテイター(煽動者)、オルガナイザー(組織者)https://t.co/L8Mcts3Kxp
12-20 02:20

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/ベンチャーの精神④】創造的破壊者であったコロンブスの末裔たちhttps://t.co/LMxGcq8azU
12-20 02:30

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神①】三百年続いた幕藩体制の経済的側面を支えた「勤労のエートス」と「企業家精神」https://t.co/rB7N2I5jHZ
12-20 02:40

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神②】上杉鷹山の企業家精神https://t.co/a6rsVHYICh
12-20 02:50

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神③】日本資本主義の特色https://t.co/FYSSMEP7D6
12-20 03:00

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神④】武家の伝統に忠実だった”ニューマン”織田信長https://t.co/Qlkc3EFtag
12-20 03:10

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神⑤】企業家精神の持ち主はチェンジ・テーカー(変化を受ける人)ではなく、チェンジ・メーカー(変化を作り出す人)https://t.co/vnRtWocvkn
12-20 03:20

■山本七平botまとめ/【変革期にみる日本人の柔軟性/科学技術の導入①】明治期の進歩的文化人にとって排除すべき迷信に過ぎなかった宗教https://t.co/ihAOE8BQpa
12-20 03:30

■山本七平botまとめ/【変革期にみる日本人の柔軟性/科学技術の導入②】新しい技術や製品に対し、宗教規範や生活規範に基づく拒否反応が一切無かった明治の庶民https://t.co/h52NrZwTiH
12-20 03:40

■山本七平botまとめ/【変革期にみる日本人の柔軟性/科学技術の導入③】無宗教的・擬似科学的・近思録的世界観の持ち主、日本人https://t.co/2fTXCk0jA3
12-20 03:50

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/「不易」と「流行」①】先入観や偏見が一切無く「情報敏感人間」であった不倒翁、渋沢栄一https://t.co/k018vBlbCu
12-20 04:00

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/「不易」と「流行」②】「富国強兵」を目標とした大久保利通、それに逆らい「富国富民」という目標に邁進した渋沢栄一https://t.co/nVkK9YiDDs
12-20 04:10

■山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/「不易」と「流行」③】流行には敏感だったが、それにおぼれることが無かった「不易」の人、渋沢栄一https://t.co/L4WVks9CTq
12-20 04:20

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/戦後のパイロット・プラント、大正①】終戦と大正自由主義https://t.co/nevtfW8hPV
12-20 04:30

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/戦後のパイロット・プラント、大正②】戦後よりも、よりよく機能した大正民主主義https://t.co/Cuos11IP36
12-20 04:40

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/戦後のパイロット・プラント、大正③】自由主義・資本主義堅持という「不易」の方針が無かった為に失敗した昭和https://t.co/wamx7TD0zN
12-20 04:50

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動①】マスコミが騒ぐ話題の予測は当たらないhttps://t.co/rq1vr99YYi
12-20 05:00

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動②】日本の革新勢力が保守よりも保守的な理由/「保守のための革新」が明治以降の日本人の生き方https://t.co/sQLu9StFAx
12-20 05:10

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動③】意識の転換は商品の選択に現れる/オイルショック後紙くず化したベストセラー田中角栄伝https://t.co/swwKnZJAyA
12-20 05:20

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動④】明治以来一貫してエネ不足に苦しんだ日本において唯一の例外だった1960年代https://t.co/k6WDpMTRc3
12-20 05:30

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動⑤】エネ不足にお家芸「維持のための変革」で対応することしかできない日本https://t.co/aeqvqdRoKp
12-20 05:40

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動⑥】高齢化社会が若者の保守化・老成化を促進するhttps://t.co/Na53iNRYyu
12-20 05:50

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動⑦】日本の社会保障が高福祉高負担にならない理由/社会的階級意識がなく、一揆的一体感が優先する日本社会https://t.co/dDmJ49jR7Z
12-20 06:00

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動⑧】会社組織という機能集団が”一揆的共同体”に転化している日本社会https://t.co/AgDDp8JJ9g
12-20 06:10

■山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動⑨】日本社会における高齢者問題は共同体内に隠居制を設けて対応すべしhttps://t.co/i7eoF5KcIL
12-20 06:20

■山本七平botまとめ/【1990年代の日本/潜在化する意識の転換①】1990年代の日本は休養・休止願望の時代https://t.co/mX3EYyTXt8
12-20 06:30

■山本七平botまとめ/【1990年代の日本/潜在化する意識の転換②】日本人の休養・休止願望が招いた「仕事本位なアメリカ人など居ない」という誤った思い込みhttps://t.co/HRVM13QzBg
12-20 06:40

■山本七平botまとめ/【1990年代の日本/潜在化する意識の転換③】実態から程遠い「日本健全、アメリカ不健全、日本人働き蜂、アメリカ人レジャー本位」という印象批評https://t.co/bUtA1yNfdz
12-20 06:50

■山本七平botまとめ/【1990年代の日本/潜在化する意識の転換④】休養・休止願望期における安易な無責任論的主張「なるなる論」https://t.co/PKFawKxw4X
12-20 07:00

■山本七平botまとめ/【1990年代の日本/潜在化する意識の転換⑤】「なるなる論」から「する論」へと「なる」危険性/大戦争を「した」のではなく、いつの間にか大戦争に「なっていた」戦前の日本https://t.co/CTbs3r17KX
12-20 07:10

■山本七平botまとめ/【1990年代の日本/潜在化する意識の転換⑥】「倫理を叫ぶマスコミ」ではなく「商法改正」によって封じ込められた総会屋https://t.co/eQPpoepmeo
12-20 07:20

■山本七平botまとめ/【1990年代の日本/潜在化する意識の転換⑦】合理的な新しい法が新しい常識をつくるhttps://t.co/md0nQVXcMU
12-20 07:30

■山本七平botまとめ/【1990年代の日本/1990年に向けて①】日本の国際的地位を保証する大前提「経済的優位の維持」は大丈夫か?https://t.co/GDrfpmfpAx
12-20 07:40

■山本七平botまとめ/【1990年代の日本/1990年に向けて②】日本民族の履歴書の中には西欧民主主義(ウエスタン・デモクラシー)という言葉はないhttps://t.co/1FZNr23XqZ
12-20 07:50

⑬『タイがイギリスの影響を受けたように、先進大国の影響はどこの国も受けますが、韓国人はきまじめに中国文化を摂取して姓名も中国式にしたんでしょう。日本人はそんなにまじめじゃないですな。「天命思想抜きで科挙抜き律令制」なんてやっていたのですから。』
12-20 08:12

⑭『族外婚と科挙がないということは、結局、社会制度・政治制度の基本は受け入れなかったということです。冊封もそうです。朝鮮国王も琉球国王も中国から「特封汝為朝鮮国王」といったお墨付きをもらっていたのですが、日本はそうではありません。』
12-20 08:42

⑮『いわば中国体制を受け入れなかったから、自らのものを創り出す以外に方法がない。もっとも「ニューズウィーク日本版(創刊号)」に載ったアンケートを見ると、多くの国で、日本人の特質というとまず『独創性』があげられていますが、韓国だけが違います。』
12-20 09:12

⑯『これは文化的に見るとおもしろい問題です。しかしそれを独創といってよいかどうか』「何ですか。その独創みたいなものは…。これも聞いておかないと」『まず「かな」と「かな文学」、これがなかったら日本文化は無かったでしょう』「それだけですか」
12-20 09:42

⑰『これだけで十分かもしれませんが、さらにいえば前述の女帝、武士、それに幕府、武家法、町人文化、為替、小切手、さらに侘茶の茶の湯、和歌、俳句、浮世絵、歌舞伎。』
12-20 10:12

⑱『金日坤氏は「儒教文化圏の秩序と経済」の中で、山片蟠桃を特に取り上げていますが、町人の番頭が学者であるなどといった文化は、韓国のような科挙の下ではあり得ないでしょう。また海保青陵や富永仲基や本多利明のようなタイプの学者もいないでしょう。』
12-20 10:42

⑲『徳川時代には明らかに韓国の朱子学者の影響を受けたと思われる人々もいますが、その影響の受け方は彼らから見れば意外でしょう。しかしその辺の事になると、今の韓国の若い人は余りよく知らないようです。ただ今述べた人達はその影響のない人達でしょう』「その他に誰か影響のない人が…」
12-20 11:12

⑳『伊達千広の「大勢三転考」などもこの時代の東アジアにはない歴史観でしょう』「ヤレヤレ」『どうしました』「いや、山片幡桃とか伊達千広だとか言われても一向にわかりませんな。これじゃ、何を言われても反論できなくて当然でしょうな。その「大勢三転考」とは何ですか」
12-20 11:42

①【「骨・職・名」区分の新しさ】伊達千広(1802〜1877年)は紀州藩士、有名な陸奥宗光の父であり…京都に出て公武合体に奔走したが失敗、帰国・閉居の身になるが、明治維新後に赦され、和歌と禅にひたる晩年を送った。政治的には失意の人と言ってよい。<『日本人とは何か(上)』
12-20 12:12

②その彼が嘉永元年(1848年)に執筆したのが『大勢三転考』だが、彼はこれを出版する意志がなく、明治6年にはじめて刊行された。
12-20 12:42

③というのはこの著作は彼にとって「およそ古書を研究するに、時制の転変、制度の沿革をしらずしては読書の活用を得がたし」であるから、それをはっきり把握する為の、自分用に作成した「覚え書(ノート)」にすぎなかったからである。この言葉はある意味で本書の成立を物語っている。
12-20 13:12

④すなわち彼は、何らかの史観や歴史記述の原則をどこかから借用したのでなく、徹底的に古書を読んでいるうちに、こうすれば日本史は把握しやすいという方法を発見したのであった。
12-20 13:42

⑤中国の歴史記述には司馬遷の『史記』のような「紀伝体」と、司馬光の『資治通鑑』のような「編年体」とがあり、いずれかを採るのが当然とされた、というより、これ以外の歴史記述の基準は全く思いつかなかったといってよい。
12-20 14:12

⑥たとえば水戸光圀の『大日本史』は「紀伝体」であり、その記述の基準は朱子学の正統論に基づく史観で、それが判断と評価の基準であり、簡単にいえば歴史を通じて「大義名分」を明らかにすることであった。
12-20 14:42

⑦一方、『大勢三転考』にはそういった発想は全くなく、きわめて客観的、即物的で歴史の事象に対してある一定の距離をとっている。簡単にいえば皇国史観のように「武家政治は日本の歴史の誤り」といったような見方が全くない。
12-20 15:12

⑧彼はあるがままに日本の歴史を見、徳川時代に至るまでを「骨(かばね)の代」「職(つかさ)の代」「名(な)の代」と三つに区分した。今の言葉になおせば「氏族制の時代」「律令制の時代」「幕府制の時代」ということになろう。
12-20 15:42

⑨このように政治形態の変化に基づいて歴史を区分し、その変化の理由を記しても、これに是非善悪の判断を加えないという歴史記述の方法をとったのは、恐らく東アジアに於て、彼だけであろう。
12-20 16:12

⑩そして彼はこの移行を「おのずから時の勢につれて、しか移りきたれるもの」「やむ事をえぬ理」即ち「歴史的必然」と見た。ではなぜこの「必然」が起こるのか。彼は「骨の代」は「職の代」に移るべき要素を内包し、「職の代」もまた「名の代」に移るべき要素を内包していたと見る。
12-20 16:42

⑪これを内的矛盾と言ってもよい。そして当然のことだが、日本の歴史は日本の基準で記さざるを得ず、中国の基準をもってきても、西欧の基準をもってきても、おかしなことになってしまう。そこで本書はこの『大勢三転考』の基準で記しつつ日本文化の特性へ進もうと思う。
12-20 17:12

⑫「骨(かばね)の代」とは「制なき時代」と彼は規定しているが、これは明確な人為的な政治制度がなく自然発生的な秩序の下に「何事も大らかに有(あり)けん」時代のこと。そして大陸の影響や人口増加で政治制度が変わり、律令時代すなわち「職(つかさ)の代」となる。
12-20 17:42

⑬この変革を彼は天武天皇の十年(681年)とし、この年に制定がはじめられた律令(浄御原令)によりこのとき骨(かばね)が廃され、その体制は大宝律令(701年)の公布で完成する。
12-20 18:12

⑭彼はこれを上からの改革「上の御心より出て、つとめて変易させ賜へる」とするが、「職(つかさ)の代」から「名の代」へは文治元年(1185年)頼朝が六十余州総追捕使になった時で、これは下からの変革「下より起こりて次第に強大にして止むことなき勢なり」の結果生じたと規定する。
12-20 18:42

⑮そしてこれを招来したのは、支配階級が専ら文治で、武門で低い階級から出た結果とする。いわば「職(つかさ)の代」がそういう制度をつくり、その結果「名の代」が招来されたと彼はいう。
12-20 19:12

⑯『大勢三転考』は…彼の「覚え書」だから、彼としては更に書きたい事はあったであろうし「まだ指摘さるべき事がある」という批評は当然出るであろうが、それは本書の性格から言って「ないものねだり」であろう。ただ彼の観点は当時としてはまことに独創的であり、それなるが故に現代的なのである。
12-20 19:42

①【文字の創造/日本文化の源「かな」】「学校の先生が中国語と日本語は同じだと言ったから、そうではないと言って論争して勝っちゃった」イスラエル大使館の前書記官ミハイル・シロ氏をエルサレムに訪ねた時…十二、三歳の可愛いお嬢さん、アビガイルちゃんはそう言って得意そうに笑った。
12-20 20:12

②…まだ子供子供したお嬢さんが、教師がまちがっていると思えば断乎として論争を挑み、ついに教壇上に立ち往生させてしまったとは、「なるほど論争の民、三つ子の魂百までか」と思いつつ論争の経過を聞くと、どうもその決め手は「かな」らしかった。<『日本人とは何か(上)』
12-20 20:42

③日本語と中国語が同一言語であると思っている人は、意外なほど多いのである。「平安前期までの日本は、殆ど中国文化のとり入れに明け暮れた。その中で本当に創造的な仕事といえるのは、仮名の発明ぐらいである」(東野治之著『木簡が語る日本の古代』)
12-20 21:12

④そしてこの「創造的発明」を知らない教師は、それを知っていた一生徒との論争に敗れた。この事の意味は大きい。日本人は自らの言葉を記す自らの文字を創造し、それによって自らの古典を記し、それと並行して組織的な統一国家を形成した。この時に日本ができたと言っても過言ではない。
12-20 21:42

⑤もちろん文字なき文化はあるし、言葉なき思想もありうる。だが『古事記』『万葉集』から『竹取物語』や『源氏物語』『伊勢物語』『平家物語』さらに歌集・日記類から随筆『徒然草』に至る膨大な「かな古典文学」ともいえるものが創造されなかったら、現代の日本文化は無かったといってよい。
12-20 22:12

⑥日本人は「かな」をつくり「かな」が日本文化をつくった。この意味で日本を考える場合「かなの創造」は、忘れる事のできない画期的事件、「かなの創造」がそれ以後の日本に与えた影響は計り知れない。
12-20 22:42

⑦自分の考えを自分の言葉と自分の文字で、何の束縛もなく自由自在に記しうること、それが広く庶民にまで普及して識字率を高めたこと、また和歌・俳句を生み出して日本的な感性を育んだこと、この重要性は幾ら強調しても強調し足りないが、後述するように問題はそれだけではない。
12-20 23:12

⑧簡単にいえば「かな」がなければ日本は無く、そうすれば日本文化は当時の超先進大国中国の漢字文化の中に包摂され埋没してしまったかも知れないということである。
12-20 23:42

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山本七平bot(@yamamoto7hei)がつぶやくツイートを日毎にまとめるブログです。
ちなみに、今までこちらのアドレスに存在したブログ「一知半解なれども一筆言上」管理人がつぶやくツイートまとめ記事は→http://yamamoto8heitweets.blog.fc2.com/ へ引越しいたしました。よろしくどうぞ。

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